5月3日、この日は連休の中日なのか後半なのか、皆さんそれぞれに感じ方は違っても、ともかくこの日は春の連休の真っ最中といえよう。
考古館の方は、この日の前後は連出勤、これが当然と言うのが、こうした小さい館の宿命・・・・と言うような愚痴を言うのでなく、ともかく入館者の多さで、こちらも忙しさの真っ只中と言うのであれば、愚痴など言っている暇は無い筈なのだが・・・・最も多かった時から言えば、入館者は十分の一以下というのが実情である。外の人出とは別の話であるが・・・・
倉敷も各地の観光イベントに負けじと、「ハートランド倉敷」を毎年この時期に計画し、今年は既に30回目という。多くの行事があり、多くの人の参加があって、それぞれには楽しい日々なのであろう。しかし実際の観光客がどれだけ増えているのか、倉の中では良くわからない。
考古館の外は、近日の不安定に寒暖を繰り返した天候をよそに、気持ちの良い五月晴れである。何も考えず、時には周辺の、ただ今をちょっとカメラに収めてと言うのが、ここに示した数枚の写真である。こうした写真を撮る暇があったということが、この5月3日の実態であった。今日が憲法記念日ということもきれいに忘れての話のようだ。
左の写真は、大原美術館の正面入り口に続く石垣の前に、ずらりと並んだ「ハートランド」用の出店風景。中の2枚は、大原美術館の別館・有隣荘で、例年春秋公開される特別展の本年度版、ヤノベケンジ「幻燈夜会」の入り口看板と、川向こうの道から有隣荘を眺めた情景である。右端は「ハートランド」のメインイベントの一つ「瀬戸の花嫁川舟流し」中。周辺の道路にも考古館前の中橋上にも、黒山の人。そのほとんどはカメラや携帯をかまえている。
やはり花嫁さんが一番人気があるのは当然だろうが・・・・皆さんは「花嫁流し」おかしくないですか?
この「花嫁川舟流し」というのはイベント側の呼び方で、宣伝チラシにも、宣伝の大声マイクの案内も、「花嫁川舟流し」といっている。
「雛流し」にも「灯篭流し」にもそれぞれ「流す」意味があり、歴史がある。こうした「流す」の持つ意味には、かなり深い意味があるのだから、人に対して余り使う言葉ではない。大体一番に連想するのは、罪人を流すということではないのか。
そんな言葉に目くじら立てることでもない、楽しい川舟でのイベントではないか・・・と言う事なのかもしれないが・・・・花嫁を、川舟であろうが大船であろうが 「流す」など普通に平気で言えるのだろうか・・
憲法記念日だからではないが、人権に関わりそうな言葉にも思える。折角のおめでたい花嫁さんを演出するのなら、なんで「花嫁川舟道中」とか「花嫁川舟渡り」としないのか・・
この花嫁流しの言葉を聞き出して、かなりになるが、誰も何も言わないのか、「花嫁流し」が定着してしまったようで、どうしても聞き辛い者がいる事をちょっといいたかった。
・・・それとも、本当にうちの花嫁など流してしまいたい、と思っている男性が多いのか!!
とんだ憲法記念日の余談になってしまった。