今回の写真の物、皆さんは何だと思われますか?・・すべて古墳出土の首飾りである管玉のはずなのだが・・・
上の三点は、備前市の鶴山丸山古墳出土とされるもの、下の一連のものは、当館で調査した岡山市金蔵山古墳出土品。すべて形は、細い青竹を輪切りにしたような形で、そのほとんどが碧玉(へきぎょく)とよばれている石で作られた物である。
写真の上方で一番大きい物は、長さ17,9cm、径3~3,3cm、重さは約295gばかりである。一方金蔵山古墳出土品では、最大の物が長さ5,5cm、径は1,6cm。ここに一連として示した大小の管玉が、古墳時代管玉としてはまず平均値範囲内のものだろう。写真のように現在一連とした管玉が、かつての首飾り一連であったものではないが、一応これ全体の重さは160gに過ぎない。大管玉が如何に重いものかが分かる。ちなみに大管玉の内の、長さの短いものは長さは大形のものの、ちょうど半分であるが、少々太く、重さは235gであった。
鶴山丸山古墳の大管玉、形や作りは確かに一般的な管玉と同じであるが、首にかける飾りだったのかどうか。管に鉄芯などを通し、飾り玉杖などにするのでは、と言う人もいるが、芯もなければ大きさもばらばらなので、納得は出来ない。
私たちがこれの説明をするときは、当たり障りないところで、首に飾ると言うより巨大だと言うことで、ステータス・シンボルではないか・・・と言うことにはしているのだが。
この資料も今から半世紀以上も前に、2点の車輪石(貝輪から転化したとされる、石製の腕飾り、右下写真 参照)と共に、考古館の所蔵となったものだが、その時の話から、両者とも鶴山丸山古墳出土に間違いないと思われた。現在展示している。
そこでこの鶴山丸山古墳だが、先回話題とした新庄天神山古墳をやや北上した位置で、吉井川の東岸、備前市では西端でもあるが、独立丘状の頂部にある。円墳だが少々楕円形のようで、現状は、径が45~55m前後。
この古墳も地元民によって、1936年に掘られたもので、竪穴石室の中には室内いっぱいに、屋根に見事な家と円盤を彫刻した大形石棺が収められていた。岡山県下では今に至るまで、全く類をもないもの。棺の周辺は30面に及ぶ鏡が取り囲み、碧玉製の三足付の盤や、彫刻を持つ刳抜の蓋物・盒(ごうす)などが、ところ狭しとあったようだ。
先に話題とした新庄天神山古墳ともども、この吉井川東岸の古墳は、吉備中枢部とはかなり違った顔をもっているようだ。
考古館に偶然にも持ち込まれた大管玉と車輪石も、今から見れば75年も昔の発掘時に、どこからかこぼれ落ちたもの、この外見は小さいが、常識の中に納まらぬ、鶴山丸山古墳出土であって、はじめて本領を発揮するものだったのだろう。
ところでちょっと失礼して、上の写真、管玉と車輪石がこのような顔だったら・・・・この姿で、博物館のケースの中に入れるわけにもいかないが・・・・
この資料の古い昔の持ち主は、この二種類の遺物を雌雄・陰陽の表現と思っていたとか聞いた。・・・共に全く現代人の勝手な空想・・・・ お許しあれ