「このホームページが、少々変わったことに気づいて頂けた方には、心より御礼申し上げます。常々からのご愛顧あってのことをおもい、改めて感謝申し上げます。」
というようなことなのだが、実は昨年(2014)から当館も公益財団法人と云う事で、館運営に関わる資料を公開することになった。そのためホームページを少々変更する機会に、開設以来大きな変わりもなく続けてきた他の部分にも、多少手を加えたのである。
基本的には似たものだが、考古館の簡単な歴史や、館周辺の遺跡地紹介地図や、英文案内など加えた。また少々マンネリ化した200回近くなった、「よもやまばなし」だが、中には館蔵品や遺跡紹介もあり、時には倉敷のいわば観光地のただなかにある考古館周辺の逸話・・等々もあることから、何かの時に利用いただければと、手前勝手な考えでこの「よもやまばなし」の索引なども加えた。「よもやまばなし」は一応そのまま継続。
ところで公益法人になった事とは全く関係のないことで、館でのメンテナンスの一つなのだが、偶然に変化の時期が重なったのである。
考古館では外観や内部の基本構造など、現状では簡単にかえようもない。だが屋根瓦の葺き替えや補修、外壁の塗り替え、貼瓦の貼り替えは、開館以来65年を経過する中で、かなりの回数おこなってきた。だがこれらは考古館の中を見学に来られた方には、特に見られる場所ではない。
だが今回の部分は、よく見える場所なのだが館をかなり訪れた方でも、あまり気づかれないのでは、というような所。その外観が、左上の今回の写真である。これは今後も入館者の方々には、お目見えしない外観だが、となりの旅館鶴形の庭からは、僅かに見える風景だろう。
ここは考古館内では2階から3階に上がる階段部分である。以前は外壁は全くない造りで、太い丸太風の木製手すりと,その下だけに,板が廻らされていた。3階部分に当たる廂から、幅1mばかりの雨の吹込みを防ぐ意味も持った、飾りの構造物が吊り下げられていたのである。
しかし大雨が降るときや風のある雨の際は、通路の階段部分は雨の吹込みが激しく、足元に水のたまることも再々で、慌てて掃除用具を持って走っていた。また冬には、ここから展示室内に風が吹き込む原因となっていた。四季を通じ冷暖房の無い考古館は、いわば屋外に近い状況だったのである。
現今の博物館と云われるような建造物からは考えられないことであるが、古い建物利用から出発した考古館では、これの形が定着していたともいえる。考古館は江戸時代の倉一棟から出発し、7年後には背後に、鉄筋コンクリートによる倉風の1棟を増築して以来、考古館では、外形に変化を与えるような工事がなかった。
しかしここ1~2年になって、階段部分に吊るされていた雨よけの劣化が激しく落下の可能性もあったため、改造を考えねばならなくなった。この機会に階段部分の屋内化も計画したのである。
出来るだけ経費のかからぬ簡単な工事だったが、伝統的建造物群内の工事のため、外装には焼き板が使われている。だが館内だけでは、階段部分の変化だけだったので,入館者の方々には、まったく気付かれない変化ともいえよう。今までに訪れたことのあった方でも、おそらくは気づかれない変化だろう。(そこは左下写真の状況である)
博物館にとっては、先ずは館内展示場の整備や、展示品の充実を第一に考えることではあるが、見学環境の良いことも、重要な要素である。倉敷考古館のこの吹き抜けの階段部分は、晴天の春秋以外は、決して褒められた状況ではなかった。
ここの室内化が出来上がったのは2月、まだ寒い時期の風の吹き抜けはずっと少なくなり、ケースの上の埃も減ったようである。考古館も目立つことはなくとも、少しずつ何か進歩しなければ、ということであろう。