(173) 五人囃子 - よもやまばなし

(173) 五人囃子
2014/5/1

 五月が近ずくと、多くの鯉が並んで空を泳ぐ姿が見られるようになる。いつからこうした習慣が各地に定着したか、思い出せないくらい前からのことになったが、いわゆる高度成長期といわれた頃からのことであったか・・・・

福島県三春地方 張り子の雛人形

富山市地方 土人形雛の五人囃子
考古館から近い日本郷土玩具館展示品
(玩具館から撮影・掲載許可)

 都市に集中しだした個人宅では、大きな竿を立てて多くの鯉を大空に泳がすことが、出来にくくなる中で、不用となった鯉のぼりの鯉たちがまとめられ、広場や川などの上に渡した綱の中で見事に列を作って泳ぐようになった・・・・最初の発案者は何処の誰だったのか・・初泳ぎは、高知の四万十川とも言うが・・・この鯉のぼり集団の出現によって、案外男児だけの端午の節句で無く、みんなで公平に祝える5月の祭りになったような気もする。

 女児の雛祭りも近年、家庭内で雛を飾るだけでなく、商店街や公共の場に、多くの古くからあるような、大きな雛壇を飾り「雛めぐり」などとして宣伝、町の活性化に利用するのが各地の傾向。倉敷もご他聞にもれない。今年も3月には、多くの人が「ここにはお雛は無いのか・・」と考古館の入り口からのぞいては、通過・・・当方は少々憮然とするのだが・・・

 とはいえ、この雛人形の公開展示も、一方では鯉のぼりの集団遊泳と、同じ社会現象なのかもしれない。今後ますます、個人宅では見られなくなるような雛人形も、多数並び、豪華な雛祭り気分をみんなのものにするものでもあるようだ。人々の「心」にかかわる祭りや習慣などは、もっとも伝統的と思いがちだが、案外時代に合わせて、柔軟に変化するものなのだろう。こうした変化は、私たちには大切な生活の知恵、その積み重ねが歴史なのかも・・・

 「・・・の知恵」などと、もっともらしい話をすることでもない・・・、雛めぐりを思い出したことで、先回話題とした「琴を弾く小像」がまた登場。というのも、かつて雛段に並ぶ五人囃子を見ていて、囃子の中になぜ琴がないのか、気になったことを思い出したからである。

 先回、古墳時代の弾琴像は男性と述べた時、もし疑問に思われた方がいたら、二通りではなかろうか・・「なぜ男性に限るのだ、男女どちらでもよいのでは?」 だと若い世代・・・「琴を一般的に習うのは女性では?」 は熟年以上か・・・私たちも熟年以上組、女性の祭りである雛祭りに、なぜ琴を弾く人物がいないのか?・・少々不思議でもあったのだ。

 琴と言えば、少なくとも20世紀の前半頃までは、教養の一つとして習う人は、圧倒的に女性ではなかったろうか。江戸時代には琴は武家の子女の、教養の一つとされていた様でもある。一方でみんなに馴染み深い、賑やかなお囃子と言えば、琴は無く、弦楽器の三味線つきではなかろうか。

 段飾りや、御殿飾りの雛人形は、宮廷の様子を写したものとされている。宮廷の饗宴での囃子は、五人囃子の姿から、歌に、横笛、鼓大小、太鼓などだったのだろうか。この囃子は、能楽の囃子とも云う。雛人形の発達する江戸時代、上級武家の間では、能もさかんだったようだ。だとすると武家の子女の教養が琴というのなら、琴も雛飾りにあってもよいのでは、など時に思っていた。しかし雛飾り道具の中にも琴は無いようだ。

 雛の姿は、あくまで江戸後期頃の、宮廷や上級社会の理想の姿としたら、琴はすでに、権威を離れ、一般的な武家や富裕な人々の女性にとっては、願望の対象外になっていたのだろうか・・・・・あまり勝手な解釈はひかえよう。

 左上の雛人形の写真は、考古館からもすぐ南に見える、倉敷川沿いにある日本郷土玩具館で展示されていた。玩具館の大賀政章氏のご好意で撮影・掲載させていただいたものである。豪華な雛飾りではないが、地方の人々の素朴な思いが込められた雛人形、五人囃子の持ち物は、豪華な雛飾りと同じである。

 この雛人形は、全形の物でも50cm四方に入るくらいの小型で、人形は張子。福島県の三春地方に伝わる、江戸時代後半頃に起源のある伝統的な雛人形とのこと。五人囃子だけ示したものも、全体はほぼ同じ大きさだが、こちらは土人形で、富山市のもの。福島三春人形と、同様の時期から作られているものと、大賀氏より伺った。

 古代の土人形である、須恵器上の小弾琴像も、大型の埴輪人物の弾琴像も、たとえ『記紀』『風土記』などの古代の文献がなくとも、あの琴を奏でる人も、またその音色が意味することも、その姿かたちで伝えてくれた。

 雛人形の起源は、自分の災厄を背負わせて流す「ひとがた」であったともいわれる。しかし江戸時代後半には、女児の幸福を殿上の生活に託す思いとなった雛飾りが、津々浦々にまで広がっている・・・たとえ小さい土人形でも、人形は人の思いの化身・・・五人囃子のお囃子の音曲がどのようなものであったか、忘れ去られた時代が来ても、人形たちは囃子続けてくれているだろう。それを願った人のために。

 これから後も、さまざまに形を変えた人形たちが「呪い」や「悲しみ」「苦しみ」の「ひとがた」にならないよう、私たちが心しなければ・・・・人形はわれわれの化身なのだから・・・

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